写真という言葉が日本人を苦しめる

写真に対して

「加工してるんですか?」

「Jpeg撮って出しです」

「Photoshopですか?」

とか、日本人は写真の加工に対して否定的です。

もちろん合成写真は合成写真としての立ち位置があるので、ここではどちらかといえば写真の色を加工することに話しを絞りたいと思います。

インターネットのおかげで世界中の写真を気軽に見ることができるようになりました。

いくつか参考サイトを列挙しておきます。

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National Geographic Your Shot
Welcome to Your Shot, National Geographic's photo community. Our mission: To tell stories collaboratively through your best photography and expert curation.
1x. Photographers that make you feel.
1x.com is the world's biggest curated photo gallery online. Each photo is selected by professional curators.
My Modern Met – The Big City That Celebrates Creative Ideas
Promoting a positive culture through thought-provoking articles on art, design, photography, architecture, technology, environmental issues, and inspiring stori...

まだまだ沢山あります。ちなみにこれらのサイトは日本からでもアカウントを作成して誰でも写真をアップロードし、沢山の方に見ていただくことができます。

いかがでしょう?素晴らしい写真が沢山あります。ジャンルもいろいろですが、例えばネイチャーフォト、風景では日本とはまた違った色合いでしょうか?

海の色なんかよくそういいますよね?海外は海の色が違う、とか、海外の観光スポットの海の色は日本にはないね、とか。

海外の風景を見てこんな素晴らしい風景は海外ならでは、で日本ではこんな素晴らしい風景は撮れないよね、とか。

果たしてそうでしょうか?

私はそこに「写真」という言葉の呪縛があるように思います。

つまり「写真」は「真(まこと)を写したもの」という漢字を使っていますが、写真は真を写すものではありません。

そもそもPhotographを日本語に翻訳したものが「写真」ではありません

言葉の生い立ちからすでに誤解があります。

「写真」は日本では1700年代、中国では1300年代から存在したそうです。

そのころの意味は身分のある方の肖像画、です。つまり「絵」です。

日本にダゲレオタイプ(初期のカメラ)が入ってきたときに使いみちとしてはほぼ人物の撮影でした。

肖像画を描いてもらうにはかなりの金額が必要だったと思います。それがカメラの登場で一気に価格が下がりました。当時はあまりいい画質ではなかったですし、白黒です。でも価格が下がったことで肖像画が身近になったのでは、と想像します。

1862年に、長崎の上野彦馬が肖像写真スタジオをオープンしたのは有名ですが、店舗の看板に「一等写真師:上野彦馬」と書いたそうです。ここでいう写真師とは、カメラを使った画家という意味だったのではと思われます。

そうなると本来の肖像画という意味であった「写真」が転じて、カメラで撮影したものを「写真」とみんなが呼び始めたのだと想像します。値段が安いほうが身近ですから。

ちなみに中国ではPhotographの訳は「照片」です。「写真」ではありません。

もし、Photographを福沢諭吉が翻訳したとしたらなんとつけたでしょうか?

光画、写影、陰影、影像とかでしょうか?

 

でも残念ながら「写真」で定着してしまいました。

ここからが本題なのですが、写真というのは真を写すものだ、という考え方に日本人は取り憑かれているのだと思います

しかし、フィルムの時代からレンズ、フィルムの種類、カメラの種類、撮影手法、現像方法によって写真はいかようにも見え方が変化します。

デジタルになっても同じです。レンズ、イメージセンサー、画像エンジン、設定、コンピュータ上での処理によって見え方は変わります。

真実は沢山あるわけです。

ではそれは真実ではないのでは?アートの表現手法として作成した個人の表現を尊重してもいいのでは?

もちろんそうです。でも本来ならそんなことを考える必要もありません。写真はアートです

でも日本人は考えてしまいます。「写真」という言葉の力、漢字の力に抗うのは大変です。

デジタル写真は色情報は簡単に加工できます。というよりそもそもイメージセンサーで得られた色情報を画像に落とし込む時にすでに「真実」ではありません。

これを理解していれば「無加工」「Jpeg撮って出し」などにはなんの意味もないことがわかります。

自分のイマジネーションで赤を青に変えたとしても問題ないとさえ私は思っています。

そもそも「赤」は#FF0000(16進数フルカラー表現)ではないんですから。

日本の有名な写真家にケント白石氏がいらっしゃいます。

Appleの壁紙にも採用された青い池という作品が有名です。あの青い色は果たして本物でしょうか?私は本物だと思います。すくなくとも彼にとってはなおさら。でも「真」ではありません。

すべての写真に「真」なんてない、と考える方が真実に近いと思いませんか?

もし色に真があるのなら、私とあなたの色は完全に一致していないといけませんが、それを証明できないし、私はまず一致しないと考えています。

 

やっとこの文章のタイトルの説明ができます。

「写真」という言葉に日本人は苦しめられています。海外の素晴らしい写真たちに日本の写真が一歩遅れていると感じるのであれば、それはこの言葉のせいです。

しかし、この言葉を「呪い」とせず、「理想」と考えたことで日本のカメラメーカーは世界の中で遥かに優位性をもった技術を持っているのかもしれませんね。

でもそれはメーカーの話し。写真を撮る人間としては、そんな呪いからは解き放たれたいと思っています。

写真をアートと考え絵画と同じ立ち位置に存在するもので、そこには表現の自由が存在するという考え方です。当たり前?そう、当たり前のことです。

PS.

個人的にはあるマンガの大ファンなので、Photographの訳は「光画」が良かったな。。。

ゆうきまさみ 究極超人あ~る 第01巻 P.10より引用

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